生きていくなかで経験する様々な喪失や悲嘆・・・

それは例えばこうした場面かもしれません。

  

    ・家族や大切な人との死別や離別

  ・傷病や老化による心身機能の喪失

  ・事件や事故、災害によって安心・安全に暮らせなくなった

  ・家庭や社会における役割を失う

  ・差別され、尊厳を認められない

  ・いじめや不登校で、自分の居場所をうまく探せない

  ・死が近づき生きがいを見失う

 

 そして、そうした喪失や悲嘆の中で苦しみながら、

それでも「生きていく」ということについて深く考えたり、言葉では表せないほどの

様々な思いを巡らしたりすることもあるでしょう。

こうした状態は学術の分野では、スピリチュアルな痛みや思いというように表現されます。

この場合のスピリチュアルという語は、単なる考えや気持ちといった部分を超えて、

その人の全人的なあり方に関わるものごとを指します。

日本語にはなかなかしづらいのですが、私たちはNPO法人としての名前にあるとおり、

「いのち」と表しています。

 

  WHOは1999年にそれまでの健康の定義「身体的・精神的・社会的に良好な状態」に

「スピリチュアルに良好な状態」という概念を加えた改正を提唱しました。

これは人の健康が、身体的・精神的・社会的な側面からだけでは割り切れない要素を

含んでいることを表しています。他の側面と同じく、スピリチュアルな側面もまた、

傷付いたときにはケアされるべきものです

 

 スピリチュアルケアという語は一般には馴染みの薄いものですが、ホスピス等においては

以前よりその重要性がいわれてきました。

例えばホスピスや緩和ケアの現場では、スピリチュアルケアワーカー等による

病床訪問が行われたり、様々な形の寄り添いを通じてスピリチュアルケアが

実践されています。患者や遺族のための分かち合いの会などにおいても、

スピリチュアルケアという視点は大変重要なものです。

 

 人が生きる本質に関する問いに直面したときに感じるスピリチュアルな        「いのちの痛み」とは、誰もが抱える可能性のあるものです。              しかし残念ながら、こうした視点はまだまだ日本の社会の中では浸透しておらず、     ケアの大切さはなおざりにされているのが現状です。

 

また、これまでのコミュニティが変化しつつある社会状況においては、         孤独の内に喪失の悲嘆を深め、苦しむ人が増えています、このことを社会全体が認識し、  いのちの痛みをケアする重要性を自覚して、スピリチュアルケアの概念が根付いた社会を  築いていく必要があります。

 

「いのちのケアネットワーク」は、こうした社会の一助となるべく、          スピリチュアルケア提供者の育成と教育、ケア実践の場としての遺族会や患者会、     更に研究会や講演会といった広範な活動を継続的に行いたいと考えています。       メンバーはグリーフ(悲嘆)ケアやスピリチュアルケアの専門的なトレーニングを     積んでおりそれを生かして実践に取り組んでいます。